20240123
上段は長男
おれの文章にはユーモアがない…。
ところでユーモアといえば悪質ないじりに対して反発されたときの決まり文句「やだな、軽い冗談だろ」があるが、場合によってはこれはいじっている側からすれば真実の言葉であってその真実がいかに確かなものであってもいじられている側にはまったく観測できない真実なのだが、そんなこといじっている側には関係がない。
これだけ書くとそういうのって悲惨だよな!やめような!という話になるが、果たしてそんな単純な世界だったろうかここは?いや、そんなに単純な世界ではなかったよここは。
どういうことか?
こういうことだ
言葉は無数の意味を持つってことよ。わかるかい?「お前、ほんとバカだな~」は愛情を示す言葉でもあるし絶望の言葉でもあるというわけだわさ。なぜ罵倒の言葉をもって愛情を示すのか・・・?というのは細かい説明は省くが動物のあまがみと似たようなものなのだがめちゃくちゃ発展している。それら辞書的な意味に回収しきれない言葉の意味は前後の文脈やその状況や関係によって示されていく…という側面もあるが基本的には主観で判断される。どれだけ愛情を込めて言っていても、相手を絶望させてしまいうるってことが容易に想像できるだろう。なぜなら話者が考える客観的な状況すらも、当然主観的に判断されているのだから(それぞれの主観ががっちりかみ合ってるよね!わたしらマジでマブよ!という雰囲気が当然コミュニケの場では起こるが、ここでは幻想として扱う)。
やべえ、難しくなってきた。こんなよくわからないことおれに書ききれるのか…?クソッ!やるしかないよな?
フロイトをかじった人間に「無意識に足のにおいかいじゃった~」などと言うと「その「無意識」という言葉はフロイト的観点からすると間違っていますね。無意識は抑圧された無数の欲望がうごめく領域であり、意識というのは無意識という海に浮かんだ一隻のボートでしかない...」などと返されるとしたらその人間の性格は悪いし、この例えばなしはたとえ話としてうまく機能してない気がする。「鍵って無意識にしめてるよね」とかのほうがいい。
それでもその人間も部分的には正しくて、言葉の定義を共有しないと話はできない。前述したように、言葉の意味は複数あるからだ。しかし大学など限定された場であれば語の定義を逐一確認していくことができるのに対して、日常のコミュニケーションでそういったことがおこなわれることはほとんどない。これが意味するのは、人間はそもそもお互いが何を言っているかよくわからない状態でやりとりをしているということであり、それどころか自分が何を言っているかすらよくわかっていないことすら普通で、会話は本質的にすれ違いである。この言い方が過剰であれば、こう言い換えるよ。会話は、つねにすれ違いに変貌する性質を秘めている…
ここまでくれば賢明な読者にはすでにおわかりだろうが、ユーモアはこの言葉の意味の複数性を逆手にとる行為だ。「ぱんつくったことある?」のようなわかりやすいタイプにとどまらず、たとえば天丼は繰り返していくことで新たな意味を付与していく行為だし、まあそういうかんじ。
つまり、「軽い冗談だろ」の暴力性じたいは避けることができないモノなのだ。それは言葉に常に付きまというる暴力である。我々にできるのはコミュニケーションに参加するものたちのあいだに発生するギャップを調整し、その暴力が現実のものになる可能性を下げることだけである。
ふう。
この文章のポイントはユーモアと冗談とウィットとジョークと...とかいったカテゴリ内の違いについて全く無視しているところ。
そしてこの文章でわかったことは、ユーモアについて書いてもユーモラスな文章にはならない。
おれの文章にはユーモアがない…。
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