niaumu

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チーン

 人といろいろ話したのだが、前回の記事においておれは国家と市民を完全に密着した主体として扱っていることがわかった。それは半分は必要なことだといまでも思うが、半分は間違っていた。全部密着させて話してたら、そもそもおれが話す必要が無~

この国や世界がこれまでどのような道を歩みこれからどういう選択をしようと、気にいらないことについては拒絶をするべきだ。当たり前すぎて、ワロタ、ワロタ…

でもまあそういう当たり前のことをなんで書けなかったのかを考えてみるか...ポク...ポク...


(前提としておれは社会の出来事に対して共感する力が薄く、そのうしろめたさが文章をあいまいにさせた部分があると思う。このことについてはしかし今回は混乱を避けてかかないことにする。)

多分前回の記事は書き方を間違えた。

おれが前回書いたのは、朝鮮半島が代理戦争によって引き裂かれていくのを横目に日本は朝鮮戦争における特需で儲け経済的発展を遂げたのであって、いまのイスラエルのジェノサイドの下地をつくった軍事的な関係を構築する際に潤ったドイツとまったくおなじだし、おなじだからのんきに批判できないよな、ということ。


のんきに間違えてるね、確かに。張り付けた記事とも真逆の結論になってるし。「のんきに批判できない」のあたりを打ち消してこう付け加えるべきだ。


特需で豊かになったから倫理的判断を放棄するべきではない。われわれは戦争に対して直接的な参加を避けただけで、批判することを怠ってきた。

戦後の復興は尊いものなのかもしれんが、そこに戦争が絡んでたこと批判できなかったら焦土にされたことの肯定になってしまわないか。焦土にされたことを肯定したくない。朝鮮半島をB29が飛び回ってたってワケ。

倫理を放棄するのであれば、金儲けの構造守るためなら虐殺も許容するって明確に示すべき。そういう意味では「虐殺やレイプなんて20世紀ではどこの国でもやってた」みたいな大日本帝国擁護派の意見は一貫性はあるのかもしれない。


でもそれ自分や大事な人がレイプされたり殺されるときに言えるのか?

「仕方ないよな、どこでもやってることだし」。おれは言えね~。

この国が侵略した国々の人も、この国に爆弾がふってきたときの人たちも言えなかったと思う。


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